コラム

中小企業の価格転嫁のために

2025.07.22

執筆者 弁護士 古家野 彰平

価格転嫁の重要性

近年の原材料やエネルギー価格の高騰、人手不足に伴う賃金上昇により、中小企業のコスト負担は増加し、その経営を圧迫しています。中小企業が経営を持続するためには、もはやコスト削減だけで対応するのは限界であり、上昇したコスト分を取引価格に適切に反映することが不可欠です。
適切な価格転嫁が実現すれば、自社の収益力を維持しつつ、持続的な賃上げを行い、価格転嫁と賃上げの好循環を目指すことも可能となるでしょう。

もっとも、日本では長年、価格据え置きが慣習化しており、価格転嫁に踏み切ることへ抵抗感を持つ企業も少なくありません。
それでも、公正取引委員会(以下「公取委」)と中小企業庁が共同で開催した「企業取引研究会」が令和6年12月に公表した報告書では、次のように述べられています。

> 「足元では価格転嫁の動き、特に受注者側からも交渉しやすい環境が形成されつつあるとの声も聞かれるが、なお課題も残っている。また、最終的に負担を受け止める消費者としても適切な説明がなされ、価格について納得感が得られれば、価格の上昇も受け入れるとの指摘もある。」

このように、価格転嫁への意識は着実に高まりつつあります。国もサプライチェーン全体での適正な価格転嫁を新たな商慣習として定着させるための取り組みを強化しており、こうした流れを踏まえ、中小企業としても価格転嫁に積極的に取り組むことが求められています。

本稿では、中小企業が価格転嫁を進める際に役立つ法制度や、交渉に向けた事前準備と工夫のポイントを解説します。

価格転嫁を支える法制度

価格転嫁をめぐる法制度としては、主に私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独占禁止法」)の優越的地位の濫用規制と下請代金支払遅延等防止法(以下「下請法」)があります。
いずれも、立場の強い事業者(発注者)が、弱い事業者(受注者)に対して不当に不利な取引条件を押し付けることを禁止するものです。

(1)独占禁止法

取引上の地位が優越している事業者が、その地位を利用して取引相手に不利益となる条件を一方的に設定する行為は、独占禁止法で禁止される「優越的地位の濫用」に該当する可能性があります(公正取引委員会「優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」第4の3(5)参照)。

令和6年12月に公取委と中小企業庁が開催した「企業取引研究会」の上記報告書でも、「コストが上昇している局面で、価格反映について協議を求めても交渉に応じず、一方的に価格を据え置く行為」は優越的地位の濫用の典型例であるとの見解が示されています。

(2)下請代金支払遅延等防止法(以下「下請法」)

下請法は、親事業者(発注側)と下請事業者(受注側)との取引に適用され、親事業者による不当な取引行為を禁止しています。その禁止行為の一つが「買いたたき」です。
これは、下請事業者が提供する物やサービスに対し、親事業者が通常支払われる対価に比べて著しく低い代金しか支払わないことを指し、不当に安い単価の押し付けは違法とされます。
公取委はこの「買いたたき」に関する運用基準を令和4年1月と令和6年5月に改正しました。

① 令和4年1月26日改正
令和3年12月27日に内閣官房、消費者庁、厚生労働省、経済産業省、国土交通省及び公取委が連名で公表した「パートナーシップによる価値創造のための円滑化施策パッケージ」を受け、労務費や原材料費、エネルギーコストの上昇を取引価格に反映しない取引は、下請法上の「買いたたき」に該当するおそれがあることが明確化されました。
運用基準には次のように記されています。

5 買いたたき

ウ  労務費,原材料価格,エネルギーコスト等のコストの上昇分の取引価格への反映の必要性について,価格の交渉の場において明示的に協議することなく,従来どおりに取引価格を据え置くこと。

エ  労務費,原材料価格,エネルギーコスト等のコストが上昇したため,下請事業者が取引価格の引上げを求めたにもかかわらず,価格転嫁をしない理由を書面,電子メール等で下請事業者に回答することなく,従来どおりに取引価格を据え置くこと。
(出典:公正取引委員会「『下請代金支払遅延等防止法に関する運用基準』の改正(案)新旧対照表」〔令和4年1月26日改正〕)

② 令和6年5月27日改正
令和5年11月に内閣官房と公取委が公表した「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」を踏まえ、「買いたたき」における「通常支払われる対価に比べて著しく低い代金」の例が明確に示されました。

ア 従前の給付に係る単価で計算された対価に比し著しく低い下請代金の額
イ 当該給付に係る主なコスト(労務費、原材料価格、エネルギーコスト等)の著しい上昇を,例えば,最低賃金の上昇率、春季労使交渉の妥結額やその上昇率などの経済の実態が反映されていると考えられる公表資料から把握することができる場合において,据え置かれた下請代金の額
(出典:公正取引委員会「『下請代金支払遅延等防止法に関する運用基準』の改正(案)新旧対照表」〔令和6年5月27日改正〕)

これらの改正により、コスト上昇局面での適正な価格転嫁を推進する環境が整えられています。

(※なお、令和7年5月16日に下請法の改正法が成立し、同月23日に公布されました。改正により、下請法は「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」(略称:中小受託取引適正化法、通称:取適法)となり、同法は令和8年1月1日から施行されます。この取適法についても後日コラムで解説予定です。)

(3)まとめ

このように現在では、発注者が正当な説明や協議を欠いたまま価格転嫁を拒んだり、コスト上昇が明白であるにもかかわらず価格を据え置いたりする行為は、下請法上の「買いたたき」や独占禁止法上の「優越的地位の濫用」に該当する可能性があるとされます。
そのため、発注者は受注者との価格交渉に積極的に応じる姿勢が求められます。
特に、給付に関する主要なコストの著しい上昇が公表資料から把握できる場合には、受注者からの要請がなくとも協議の場を設ける必要があるといえるでしょう。
また、発注者にとっても、適切な価格転嫁がなされず下請事業者が経営難に陥り、倒産などで取引が途絶することは看過できないリスクです。時にサプライチェーンの維持・安定は発注者の利益となるとの観点から、発注者から受注者に適正な価格転嫁を促すことも重要でしょう。

価格交渉の事前準備

価格転嫁の交渉を行う際は、事前準備が成功の鍵を握ります。ここでは中小企業庁が作成している「【改訂版】中小企業・小規模事業者の価格交渉ハンドブック」等の内容を参照しながら、準備のポイントを整理します。

(1)原価・価格根拠の整理

  まず、自社のコスト構造を正確に把握しましょう。原材料費やエネルギー費、人件費がどの程度上昇し、利益にどう影響しているか、定量的なデータを用意します。
製品ごとの原価計算を十分に行っていないために価格交渉が難航する事例は少なくありません。仕入れ価格や人件費など投入コストを数値で示し、客観的なデータとして提示できれば、自社の経営改善にも役立ちますし、経営努力をしてもなお価格転嫁の必要性があることを取引先に対しても説得的に説明でき、価格転嫁交渉を有利に進められます。原価計算の仕組みがない場合は、ぜひその構築を検討していただければと思います。

 ② 中小機構は、次のような無償のツールを提供していますので、活用をご検討ください。
    ・中小機構「価格転嫁検討ツール」外部リンク
     〔商品別(取引先別)の収支状況が把握でき、価格転嫁の必要性が分かるツール〕
    ・中小機構「もうかる経営 キヅク君」外部リンク
     〔商品・取引先ごとの収支状況やコスト構造の変化を可視化し、価格転嫁の目安や商品戦略、 事業戦略等を検討することができるシミュレーションツール〕

  業界紙・専門誌や官公庁ウェブサイトから業界平均の価格動向データを収集することも有効です。
自社データが十分に整わない場合でも、こうした公表されたデータは値上げの必要性を裏付ける根拠となります。

  こうしたデータを下請法の「買いたたき」の運用基準に当てはめながら、価格改定の提案内容を検討します。運用基準の解釈や当てはめに関する不明点は、弁護士に相談されるとよいでしょう。

(2)契約内容の確認

交渉前に、取引先との契約書や取引基本契約書の内容を必ず確認しましょう。

   契約に有効期間がある場合、更新時期を交渉の機会として活用できます。

  長期契約の場合、価格改定条項の有無や価格交渉の手順が定められているかを確認します。契約で価格据え置きが明記されている場合でも、昨今の情勢変化を踏まえた見直しの相談を検討しましょう。

  契約書がない口頭ベースの取引や、内容が不十分な契約書しかない場合は、契約条件の明確化・書面化を機会として価格交渉を行うこととが考えられます。

その際、弁護士に事前に締結する契約書をレビューしてもらうことをお勧めします。交渉余地や法的な論点、自社の主張すべきポイントを整理でき、交渉をスムーズに進めやすくなります。

(3)取引先の経営方針や業績動向を把握

取引先の経営方針や業績動向は、取引先から見た自社の位置付けを分析し、交渉内容や提案の方向性を具体化させる上で重要な情報です。これらの情報は、重要な取引先ほど、直接のコミュニケーションで情報収集を試みるべきです。
ただし、それが困難な場合は、地域の業界団体や同業他社との意見交換を通じて情報を集める手もあります。

(4)自社の強みを明確にする

自社の技術力や信頼性など、価格競争力を支える「強み」を明確にしましょう。
そして、自社が価格を主導できる「強み」を有する分野を拡大し、利益率の低い又は将来性の乏しい取引を縮小するという全体的な方針を立て、取引価格改定の方向性を検討していくことになります。
自社の「強み」が見えにくい場合は、「どの分野で何を強みとし、どのような取引を重視するのか」という観点から、経営計画の策定や見直しを行いましょう。

(5)社内体制の整備・合意形成

価格交渉に臨む前に、経営陣だけでなく営業担当者や従業員も含めて、値上げの必要性や対象取引先、交渉方針を共有しましょう。
従業員が現状を理解し、自分ごととして捉えられれば、社内が一丸となって交渉に取り組めます。社内の意識統一ができていれば、取引先にも一貫性のある説明ができ、説得力が高まります。
また、交渉シミュレーションを事前に行い、「断られた場合の対応策」も含めた戦略を社内で準備することが大切です。

交渉の進め方

交渉では、取引先に対して、冒頭に客観データに基づく説明を行い、社内のコスト削減努力等も示した上で、改定価格を提示し、誠意をもって価格改定を要請しましょう。
四半期や年度末等の取引先がコスト見直しを検討しやすい時期を選んだり、発注が増えている好調時に提案したりする工夫も有効です。
口頭だけでなく、文書で正式な価格改定要請を行うことも重要です。文書化することで、要請があったことが証拠化されますし、取引先の社内決裁に乗ることで真剣に検討してもらいやすくなります。

誠意をもって交渉し、双方にとって取引継続のメリットがある落着点を探ることが重要です。
提示に対する取引先の反応や取引先の事情を十分に踏まえた上で、必要に応じて、対案や代案を示します。
自社が応じることができる値上げ幅を踏まえた上で、値上げを段階的に行うことや、取引価格が据え置きとなる場合には材料や製造工程の条件変更によるコストダウンの提案を検討しましょう。

一方、親事業者が価格転嫁交渉そのものを拒絶する対応をしてくる場合には、公取委の運用基準に沿えば下請法が禁止する「買いたたき」の疑いがあるとされます。この場合は、弁護士の助言を受けながら、法律違反の可能性を示唆することも交渉手段となります。
それでも親事業者が価格転嫁に全く応じず、不当な価格の据え置きを強いるようであれば、「下請かけこみ寺」の裁判外紛争解決手続の活用や、公取委への通報を検討します。公取委による調査が行われ、違反と認められれば是正勧告や企業名公表といった措置がとられることもあります。また、そうした措置に至る前に、弁護士から内容証明郵便を送付し、適正な価格転嫁を求める通知を送付することも考えられます。

価格転嫁のサポート機関

中小企業庁は、適切に価格交渉・価格転嫁できる環境を整備するために、全国47都道府県に設置している「よろず支援拠点」に「価格転嫁サポート窓口」を設置し、これをサポートしています。

また、上述したとおり、弁護士の助言や弁護士が代理人となることで、スムーズな交渉や価格転嫁が実現できることがあります。お悩みの場合は、ぜひご相談ください。