コラム

ウトロ平和祈念館訪問記

2024.03.29

執筆者 弁護士 古家野 彰平

 2023年6月9日、私が所属する自由人権協会京都の企画の一貫で、宇治市のウトロ平和祈念館に行ってきました。同祈念館は、ウトロの歴史を継承し、さらにウトロ住民をはじめ地域の人々に開かれたコミュニティの拠点として、また地域を超えて日本と朝鮮半島の未来を担う人たちの出会いと交流が深まる場としての役割を担うため、2022年4月に開設されました。
 宇治市のウトロ地区は、1940年以降行われた京都飛行場建設工事のために集められた在日朝鮮人労働者の飯場跡に形成された集落です。日本敗戦後、故郷の荒廃・混乱や生計の問題から日本に留まる朝鮮人労働者が多くおり、行く当てのない朝鮮人がウトロ地区に集まって暮らすようになりました。ウトロ地区は、差別や貧困に苛まれる朝鮮人にとってのセーフティネットとしての役割を果たしたそうです。
 ただし、ウトロ地区の生活環境は劣悪で、上下水道などのインフラも整備されませんでした。ウトロ地区の地権者が民間企業であったことも行政が及び腰となった理由でしたが、いわば終戦直後のスラムがそのまま「置き去りにされた」かのようでした。そんな状況を日本の市民たちが人権問題として捉え、ウトロの人々と協働してこの地区の生活改善を求める運動が1986年から始まり、1988年には上水道が敷設されました。
 しかし、1989年、ウトロ地区の地権者であった民間企業が土地を不動産業者に売却し、その不動産業者が住民に対して立退き訴訟を提起しました。立退き訴訟は2000年、最高裁の上告棄却で住民敗訴(立退き認容)の判決が確定しました。それでもウトロの住民たちはあきらめず、「法律は本来人間を守るもの」「相手が法律を使うなら自分たちは人道に訴える」と住む権利を主張し、声を上げ続け、立退きに対抗しました。日本人の地元の支援者、宇治市民が支援し、2001年には国連社会権規約委員会においてウトロの立ち退き問題に関する懸念と差別是正勧告が出されました。さらには韓国での報道などを通じて韓国国民の支持や連帯を得、韓国政府の支援も得られ、2011年までに韓国政府が土地の一部を購入することによって、住民の立退きは避けられました。最高裁で敗訴してから始まる戦い方があることを知りました。

 今では、韓国政府等が購入した土地に宇治市などが公的住宅を整備し、そこに住民が移住する形で、新たな町づくりが進んでいます。そして、町づくりの一環としてウトロ平和祈念館の建設が計画されたのですが、ウトロの逆境はこれで終わりません。2021年8月には、土地問題の住民運動で作られた立て看板など祈念館で展示予定だった資料を狙い、地区の倉庫が放火される事件が起きました。当時22歳の犯人は後に非現住建造物放火で懲役4年の実刑となりました。ウトロの住民たちは、大きな衝撃を受けながらも、ヘイトクライムに萎縮するのではなく、これに向き合い、裁判や世論で差別の問題を訴え続けました。

 ウトロ地区の歴史と居住権を守った人々の努力は、異なる国同志の理解を深め、人権と平和の大切さ、共に生きることの意味を生々しく訴えかけてきました。皆さんもぜひ一度ウトロ平和祈念館に行ってみてください。ガイド有りがオススメです。また、今ではウトロの昔の町並みはすっかり変わっていますので、Googleマップのストリートビューで一度見てから訪問されるとよいと思います。