コラム

ハーグ条約-国境を越えた子どもの連れ去りー

2024.12.20

執筆者 弁護士 大江 美香

 国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約(以下、「ハーグ条約」といいます)をご存知でしょうか。ハーグ条約は、国境を越えた子どもの不法な連れ去りや留置などの紛争に対応するための国際的な枠組みを定める条約です。日本はハーグ条約を2014年4月1日に発効し、日本での実施法として、「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約の実施に関する法律」(以下、「ハーグ条約実施法」といいます。)が制定されました。日本国内では、この実施法に基づき手続が行われます。
 実施法は、国際結婚をしている夫婦にだけ適用されると勘違いされることが多いのですが、日本人夫婦にも適用されることがあります。

1 ハーグ条約が発効した経緯について

 1970年頃から、人の移動や国際結婚が増加するに伴い国境を跨いだ親同士の子どもの取り合いが世界中で問題視されるようになり、1980年10月にハーグ国際私法会議にて、ハーグ条約が採択されました。締約国は、国内の司法制度を整え、相互に協力して相手国から子を連れ戻したり(子どもの返還)、親子の交流の機会を確保するため(子どもとの面会交流)の手続を進めることが求められます。
 なお、子どもの返還と子どもとの面会交流を求める手続きは異なりますので、ここでは主に子供の返還についてご紹介します。

2 ハーグ条約の制度

 ハーグ条約は、締約国に対して、一方の親に不法な連れ去り、留置された子どもが、元々居住していた国(以下、「常居所地国」といいます)に返還されるか否かを判断するために必要な裁判手続を整えることを求めています。ハーグ条約の考え方では、子どもの連れ去り・留置の時点から1年以内であれば、原則は常居所地国へ返還することになります。一方の親の判断で、国境を越えて子どもを連れ去ることは、子どもの生活環境を一変させ、他方の親や友人との交流を断絶させるなど、子どもにとって悪影響を与えると考えられているからです。
 ハーグ条約における「不法な連れ去り」とは、他方の親の同意なく子どもを常居所地国から出国させることをいい、「留置」とは、他方の親の同意を得て子どもを常居所地国の外に連れて行き、約束の期限を過ぎても子どもを常居所地国に戻さないことをいいます。
 ハーグ条約は、「子の利益」の観点から、手続の迅速性を重視し、裁判手続が原則6週間以内で終わるように求めています。このため、実施法に基づく審理は日本の他の家事事件(調停だと月に1度のペース)と比較して、非常に速いペースで進みます。また、ハーグ条約上の紛争を取り扱う裁判所は東京または大阪の家庭裁判所のみであることも、通常の裁判手続とは異なるところです。
 なお、ハーグ条約上の義務を負うのは締約国相互のみですので、例えば、締約国ではない中国や台湾から日本に子どもを連れ去られた場合、ハーグ条約上の手続は利用できないことになります。

3 ハーグ条約の適用事例

 日本においてハーグ条約の手続が利用される典型例は、国際結婚をして家族と海外で生活していた日本人が、パートナーとの関係が上手くいかなくなり、パートナーの承諾を得ずに子どもを連れて日本に帰国した(連れ去り)という場合です。
 国によっては、一方の親の同意を得ずに子どもを国外に連れ出すことは、実の子どもであっても誘拐罪等の刑法上の犯罪となります。場合によっては、当該国への再渡航あるいは当該国と何らかの取り決めがある第三国へ入国する際にも逮捕される可能性があり、また、誘拐犯として国際指名手配されることもあり得ますので、子どもを連れて日本に帰国する際には注意が必要です。
 また、ハーグ条約は、日本人同士の夫婦にも適用されることがあります。例えば、パートナーの海外赴任に伴い家族で海外に移住したものの、一方が他方に無断で先に子供を日本に連れ帰った場合、「不法な連れ去り」で子を赴任先に返還するよう求められる可能性があります。また、パートナーが1年間の約束で留学に子供を連れて行き、その後、海外で仕事を見つけたので1年が経っても帰って来ないような場合、約束の期間である1年を超える子どもの海外滞在は「留置」にあたり、子どもを日本に返還するよう求められる可能性があります。
 返還申立てに対する拒否事由(実施法28条1項)は限定的にしか定められておらず、原則として、子どもを常居所地国に返還すべきと考えられています。「どこでどのように誰が子どもを育てるべきか」という実態的な判断は、まず子どもを常居所地国に戻してから、その国の裁判所なり当事者間で話し合って判断すべきと考えられているからです。

 家族の形は多様になり、海外で生活する機会も増加しています。日本人同士であったとしても、子どもと一緒に家族で海外へ移住する際は、ハーグ条約のことを念頭に置いていただけると幸いです。