コラム
信頼できる研究のために重要な研究インテグリティ
第1 研究インテグリティとは
研究インテグリティとは一言でいうと「研究の健全性・公正性」のことです。
研究活動においてデータや結果の正直さ、公平さを守ることであり、研究への信頼を支える土台ともいえます。
研究インテグリティとセットで唱えられている概念に「研究セキュリティ」というものもあります。研究セキュリティは、例えばサイバー攻撃やスパイ行為から研究データを守るといった、研究を外部からの不当な干渉や技術流出のリスクから守ることを意味します。一方、研究インテグリティは研究者自身の行動の公正さ・誠実さを指し、データのねつ造や改ざん、盗用などをしないこと、そして利益相反を適切に管理することなどを含みます。
特に近年は研究の国際化やオープン化(オープンサイエンスの進展)に伴い、開かれた研究環境が不当に利用されるような新たなリスクも生じており、このようなリスクにより開放性・透明性という、研究環境の基盤となる価値が損なわれてしまうのではないかといった懸念や、研究者が意図せず利益相反・責務相反に陥る危険性が指摘されています。
このような背景から、政府は研究インテグリティの確保に向けた施策を強化してきており、2021年には、政府の統合イノベーション戦略推進会議において「研究活動の国際化、オープン化に伴う新たなリスクに対する研究インテグリティの確保に係る対応方針について」(以下「新たなリスクに対する対応方針」といいます。)が決定され、研究者や研究機関が自律的にインテグリティを確保できるよう支援が行われています。
第2 研究インテグリティの取組
1 不正行為への対応
まず、研究インテグリティの確保のためには、「研究不正」をなくすということが大事です。
(1) 研究不正の具体例:どんな行為が問題になるか?
「研究不正」は、研究において倫理に反し、健全性・公正性を損なう行為全般を指します。「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」(平成26年8月26日文部科学大臣決定)では、特に悪質なものとして以下の3つの「特定不正行為」が挙げられています。
● 捏造: 存在しないデータ、研究結果等を作成すること。
● 改ざん: 研究資料・機器・過程を変更する操作を行い、データ、研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること。
● 盗用: 他者のアイデアやデータ、分析・解析方法、データ、研究結果、論文等を当該他者の了解又は適切な表示なく流用すること。
実際に近年、大学教授によるデータ改ざんや、大学院生による論文盗用など、複数の不正事案が公式に認定されています。こうした事例は研究コミュニティだけでなく一般社会の研究への信頼を揺らがせる事由となります。
上記の「捏造・改ざん・盗用」以外にも、例えば、同じ内容の論文を複数の雑誌に投稿・発表する二重投稿や、実際には研究に貢献していない人を論文著者に加える/貢献した人を著者から外すといった不適切なオーサーシップなども研究倫理上、不正行為とされ、発覚すれば論文の撤回や研究者としての信用失墜につながります。また、研究費の不正使用も研究インテグリティに反する重大な不正です。
(2) 研究不正がもたらすリスク
研究不正は自己や所属先に対する信頼の低下を引き起こすリスクのみならず、教育や他の研究にあたえる影響も見過ごせません。そして、倫理的・学術的な問題であるだけでなく、法的リスクを引き起こす可能性もあります。
例えば他者の研究成果の盗用は、著作権侵害などで損害賠償請求を受ける可能性がありますし、企業の研究開発部門でのデータ改ざんについては、発売後に不具合や被害が生じたり問題が発覚した場合に、リコールや巨額の賠償につながりかねず、法的・経済的ダメージは甚大です。研究費や補助金の不正受給・使用は民事上の問題のみならず詐欺罪といった刑事事件となるケースもあります。
法律違反となれば個人だけでなく所属機関も社会的・法的責任を問われる場合があるため、研究者と組織の双方にリスク管理が求められます。
(3) 予防策と組織的対応
研究不正を防ぐためには、予防策を講じることが重要です。共同研究の場面で契約書において権利義務の明確化や不正行為に対する対処を行うことや、以下のような制度や仕組みといった内部環境の整備を行っていただくことが大事です。
① 研究倫理教育の徹底
研究機関は組織として研究者に対する倫理教育を実施し、研究倫理に関する意識向上を図ることが求められます。具体的には、上記ガイドラインでは、研究機関に研究倫理教育責任者を置き、研究者や研究支援人材など広い範囲の関係者に対し定期的な倫理教育を行うことが推奨されています。この教育は、基本的な倫理原則や不正行為の深刻さを学ぶ機会を提供するものであり、外部の専門家を招いた研修や、具体的なケーススタディを通じて実践的に行うことが効果的です。
② 研究データや研究費の管理体制の整備
実験や調査の生データを一定期間保存し、必要に応じて開示できる体制を整えること、データの保存方法や管理について、適切な方針を定め、万が一、研究内容に疑義が生じた際に迅速に検証できるようにしておくことが、研究者自身の意識にもつながります。
そして、データの取り扱いや保護、研究成果に関する知的財産権の管理に関しては、適切なセキュリティ対策を講じていただくとともに、対内外の契約やルールを整備していくことが大切です。あわせて、研究費の使用状況の透明化のための管理体制の構築も並行して必要となります。
③ 自己チェック体制の構築
例えば論文投稿前に文章や引用をチェックすることで盗用を防ぐための剽窃検知ソフトウェアなどのツールを使っての自己チェックをすることなどが考えられます。そうした自己チェックを組織としてどうルール化するか、組織としての自己チェックをどのように行っていくかも検討すべき事項となります。研究公正に関する国際的なチェックリストも整備されつつありますので、こうしたチェックリストを研修に取り入れ、自分たちの研究環境に不備がないか定期的に見直すことが考えられます。
④ 研究室や職場の風土づくり
健全な研究文化を育むために、組織としてのサポート体制を強化することや研究者等が不正の兆候に気づいた際に声を上げやすい環境を作ることも重要です。若手が相談しやすい環境を整えることや、内部通報・外部通報制度の活用など、制度面からの検討が必要です。また、プレッシャーや過度なノルマが不正の誘因になることもあるため、研究計画や業績評価のあり方にも配慮が必要であり、組織として健全な研究文化を育む工夫が求められます。
2 利益相反・責務相反への対応
(1) 研究の健全性・公正性を阻害する要因として、当該研究をとりまく利益相反や責務相反による研究活動への影響も挙げられます。
例えば、外部企業や外国機関等、外部との共同研究や外部が研究資金を拠出する研究の場合、当該外部機関等にとって不都合な研究結果がでる場合もあるかもしれません。そのような時、利益の衝突が生じ、結果が正確に取り扱われることについてリスクが生じることが想定されます。この場合上記の特定不正行為につながることで生じるリスクに加え、例えば安全保障貿易管理や不正競争防止法の観点からも法令順守が求められているところ、技術情報の不正な提供などはそれらの違反になるケースもあり得ます。そこで、研究者が外部から資金提供や報酬を受けている場合等、それが不正に研究内容やその取扱いに影響を与えることがないよう、適切に管理する必要があります。
(2) 従来から産学連携活動における利益相反・責務相反管理の必要性や安全保障貿易管理等の法令順守に関する部分について指摘・対応が求められてきましたが、新たなリスクに対する対応方針においては、国際的共同研究を念頭とした利益相反・責務違反が生じるリスクについての対応が挙げられています。つまり、研究の国際化・オープン化により、研究活動の透明性確保や説明責任を果たすといった、研究者や研究組織としての規範が新たに求められる部分として位置付けられているのです。
そこでは、研究インテグリティの確保に係る対応のために、①研究者自身による適切な情報開示、②大学・研究機関等のマネジメント強化、③公的資金配分機関による申請時の確認を掲げ、それぞれについての政府の対応方針(取組)を決定しています。例えば、研究者が所属機関や研究資金配分機関等に対し、必要な情報の適切な報告・申告を行うように、研究者ないしその所属機関に向けて、チェックリストの利用を促し、そのチェックリストの雛形については諸外国との調和がとれたものとなるよう適時更新するといったことや、説明会やセミナーを開催する、といったことが挙げられています。チェックリストは文部科学省のHPにも掲載されています。
研究者の方および所属機関においては、これらの取組に対応し、自ら利益相反リスクの管理に必要となる情報の申告や情報把握・管理のためのルール作り・規程の整備や、チェックリストの活用による自己管理、定期的な見直しや情報公開の機会を設けることで、透明性を確保することが求められています。
第3 結論
研究インテグリティは、研究者個人の誠実さや公正さにとどまらず、研究環境全体の信頼性を支える基盤となる概念です。その確保は、研究機関や企業にとって、単なる倫理的な問題だけでなく、法的・経済的なリスク管理としても不可欠と言えます。
そして、研究インテグリティの確立には、研究者自身や研究機関が自律的に公正性を担保していく必要があります。政府も様々な対策や支援策を挙げていますが、研究機関の内部的な対応だけで防止を図っていくことは難しい場合もあるでしょう。しかし、本コラムで挙げたような対応策は、企業の内部統制やコンプライアンスと相通じるものです。規程やルールの整備、契約書作成、利益相反、データ・知的財産権の適切な管理といった法的な視点は、研究インテグリティを支える強固な土台となります。これらの具体的な道筋を構築する際は、弁護士等の専門家のサポートを受けることで、よりクリアで実効的な環境構築が期待でき、なにより孤独な道のりでなくなるというメリットがあると思われます。
不正行為に対する厳しい対処や、不正行為をなくす取組を進めていく中で、学問の自由が侵害されないこと、また、研究を萎縮させてしまわないようにすることも大切です。研究インテグリティは、むしろ研究者が安心して挑戦できる土台を築き、研究を活性化させるための前向きな仕組みとして確保されるべきであるということは忘れてはならないポイントです。
健全な研究環境を作るためには、教育・管理・組織文化からのアプローチを通じて、研究インテグリティを確保するための仕組みを整えることが重要です。個々の研究者の方から組織全体までが一丸となって、公正かつ透明性の高い研究活動を推進していくことが求められています。