コラム

ピクトグラムについて

2024.03.29

執筆者 弁護士 朝倉 舞

 非常口を表すサインのように、言語によらず、メッセージ・対象物・概念や状態に関する情報を図で表したものをピクトグラムといいます。
 共通の文字・言語を用いなくとも、伝えたいイメージを伝えることができ、ユニバーサル、ダイバーシティの観点から、街づくりやコミュニケーション支援などに活かされています。日本産業規格(JIS)として定められたピクトグラムもあります。
 ピクトグラムは、もとはオーストリアで生み出されたアイソタイプが原点であるといわれています。そして、競技を表すピクトグラムは、1964年の東京五輪で初めて導入されました。また、各種施設に使用される案内用のピクトグラムは、サッカー日韓共催ワールドカップもあり国内外の多くの方の利便性やニーズのために統一化や充実の必要性が高まり、2002年にJIS案内用図記号が制定されました。
 その後、JIS案内用図記号は東京五輪・パラリンピックに向けて、外国人観光客の方等により分かりやすい案内用図記号とするため、2017年に改正されました。たとえば、外国の方の中には、温泉記号の湯気を料理の湯気と思ってしまい、温泉記号を温かい料理などと間違える可能性があるといったことがあり、わかりにくい・間違えやすいとされた記号が国際(ISO)規格に合わせて変更されました。
 
 ピクトグラムがわかりやすいからといって、誰にでも共通する感覚で受け止められるわけではありません。ちょうど先日、普段何の気なしに見過ごすような看板が外国の方にとってはそうでない、と感じる場面がありました。工事現場の脇道を歩いていると、前方より外国からの観光客の方々が、面前の看板を指さして皆で笑いながら歩いて来られたので、何かなと、すれ違い様にその看板を見てみると、工事中につき迂回を促す看板に、人がお辞儀をしているような姿が描かれていました。

 どこか愛らしいその佇まいがおかしかったのか、あるいはお辞儀というスタイル自体が日本的で珍しかったのか…。「工事中なので気を付けて」というメッセージは直接的で伝わりやすいですが、そうではなく「工事中→ご迷惑をおかけしてすみません」というメッセージは、考えてみれば、文化によっては新鮮に映るかもしれません。
 このように、言語だけでなく、非言語コミュニケーションにおいても、文化の違いや感覚のずれは存在します。文化や感覚の違いを知ったり体験することは旅行の醍醐味のひとつともいえますが、国際化社会の中での活用がなされるピクトグラムの目的上、必要なものについてはできるだけ「ずれ」を解消するような見直しを随時行っていくことも大切です。

 一方、作成する側からピクトグラムを検討してみると、作成時には、同じメッセージを伝えるにも、どのような特徴を抽出し、どのようなデザインにするかの他、誰にでも一見して分かりやすいか、他の意味にとられないか、フォルムとして親しみがあるか、見過ごされないか、かといって街並みから浮かないか、などなど考慮要素はたくさんあります。
 単純明快なように見えるピクトグラムでも、非言語だからこそ、広がるイメージは多様となり得るので、様々な背景を抱える方にとって、共通のメッセージを伝えるのは簡単とはいえない場面もありそうです。

 では、作成されたピクトグラムに著作権は認められるのでしょうか?
 実在する施設をグラフィックデザインの技法で描いたピクトグラムの使用に関する紛争の中で、ピクトグラムが著作物といえるかが争われた事例(大阪地判平成27年9月24日判例時報2348号62頁)では、著作物性が認められました。
 著作物に当たるかを検討する際に大切となる、「創作性」の判断において、「表現の幅」が問題とされることがあります。例えば、抽象的な概念をピクトグラムで表現する場合には、それらの一番肝となる部分を表現上抽出して、それをデザインして明確にわかりやすくまとめる必要があり、その過程での表現の幅は十分にありそうです。他方、この事案では、既にある対象物(例えば大阪城など)をシンボリックな図にて表現された場合でした。この場合、創作性の幅は限定されるように思われるかもしれません。本判決でも、「実用的目的から,客観的に存在する対象施設の外観に依拠した図柄となることは必然であり,その意味で,創作性の幅は限定される」としました。しかし、本判決ではさらに、そのような場合でも、ピクトグラムが表現物として作られる過程の様々な要素を具体的に挙げていき、「美的表現において,実用的機能を離れた創作性の幅は十分に認められる。」としました。そのうえで、それ自体が美的鑑賞の対象となり得る美的特性を備えているかどうかを判断し、問題となった19個のピクトグラムについて著作物性があるとしたのです。

 多様な背景を超えてメッセージを伝えるのは大変な場合もありますし、時代の流れとともに、今まで当たり前だった前提事項自体に疑問を呈されることもでてくるかもしれません。それでも広い意味での非言語コミュニケーションのツールとして、ピクトグラムは大変有用であり、様々な場面でこれを取り入れることは、素敵な取り組みだと感じます。時代に即してリニューアルされながらも、これからも人と人をつなぐツールとして活躍してほしいです。